なぜ、日本の大学生には自信がないのか?
こんにちは!
アートで日本の親子と世界をつなぎ
《正解のない時代》を生きる子どもたちの土台を創る
Creative Kids Academyのサンダークリフさやかです。
「先生、どうしたら自信って出るんですか😔?」
私は17年間大学に勤めてきましたが、よくこんなふうに学生に相談されます。特に芸術を学んでいる学生となると、自己表現することに慣れているのでは?と思われがちですが、実はそんなことはなく、多くの学生は悩んでいます。
実際、授業のなかで質問してもシーン、となってしまうことはしょっちゅう…
「質問されたら自分への質問だと思って、どんどん思ったことを発言してみて!」
と伝えるのですが、なかなかこの壁を乗り越えるには苦労するものです。
しかし、自分の大学1年生の頃のことを思い出すと、この気持ちもよくわかります…
私は18歳から渡英し、ロンドンの大学に入学しました。いまだに一番最初の社会学の授業は忘れられません。
社会学の授業だというのに、いきなりチョコレートバーのCMを観せられて、
「さあ、このCMからわかることはなんですか?」
と先生から質問されたのです。
「え?わかることって、チョコレートバーのCMだなってこと以外に何があるわけ?!」
と18歳の私は訳がわからず隠れるようにして自分が当てられないようにしていました。
しかし、周りのクラスメイトと言えば、私以外ほとんどの人が手を挙げているのです。私はますます焦り、顔が赤くなり、心臓がドキドキしてしまいます。
「英語ができないんだからしかたないよね…」
となんとか落ち着こうとするのですが、周りの子はそんなこと一切気にしていないのです。
英語が私よりできない子もたくさんいましたが、みんなまったく気にせずどんどん発言している。先生も例えその子の英語が伝わらなくても、うんうんと一生懸命聞いてくれている。
そんな状況に恥ずかしいやら、悲しいやら、思わず泣きそうになってしまいました。
思えば日本で学んでいた高校生まで、先生から意見を聞かれることなんてまずなかった。
黒板に書かれることをノートに美しく写して、必死に覚えて、期末試験でいい点数を取って、というのが優等生の私に取っての『勉強』でした。
常に『正解』は教えてもらうものだったのです。
だから、「これについてどう思う?」なんて聞かれると、思考が停止してしまう。いや、もしかしたら小学生から高校卒業まで私の思考はずっと停止していたのかもしれない、と気がつきました。
そんな自分自身の苦い想い出を振り返りながら、出会う学生たちには私の専門分野を教える以前に『良い学習者になること』を伝えています。
「勉強は習うもの」という日本の常識から、『学習者の責任とはなんだろう』と問いかけます。ましては私の授業は、みなさん自分で選んで履修する訳ですから、シラバスや履修登録は契約書のようなものです。
講師が授業を展開するのではなく、講師と学生が一緒になって展開するのが、学びのあるべき姿だと信じています。
しかし、これをいきなり大学からはじめるのは本当に難しいこと。かなりの練習が必要です。
それでも5回くらい授業をやっていくと、だんだんと学生たちも慣れてきて、発言することの楽しさ、自分の意見をみんなとシェアすることの喜び、どんな発言でもクラスみんなの学びに役立つことを理解しはじめます。
そうすると学びがグッと深まり、彼ら自身のための学びがやっとはじまっていくのです。
大学への進学率がこんなにも高い日本でこの現状はあまりにももったいない。心からそう思います。
このブログを読んでくださっている方のお子さんはまだ小さいと思いますが、これが大学の現状だと知ってほしいと思っています。
そして、どんどん、自分の意見や想いを自信を持ってみんなに伝えたい!!というお子さんが育つよう、子どもたちをサポートしてあげてほしいと心から願っています。
まずはおうちでの親子の会話からはじめてみて下さい。答えを教える、あるいは正解を答えなくてはならない会話ではなく、意見のキャッチボールができる会話を心がけてみて下さい。
大袈裟ではなく、そんな親子の会話は日本の未来を大きく変えることになります。
では、具体的にどんな会話を重ねていったら良いのか…?!
これについてはまた別のブログでお伝えしていきます。
Sayaka